こんにちは、ワンワンです。
今年から働き方改革法により、残業時間を少なくしよう、有給をちゃんと使おうという時勢の流れになってきています。
もちろん建築業界の中でも大企業はその流れに抗えずに勤務時間の管理が厳しくなってきましたね。
今もそうですけど建築業界は残業が多いことで有名です。設計事務所やゼネコンで働く人は残業100時間超えの人もそれなりにいます。
ワンワンも過去には残業100時間超えを何回もありました。そんな人が周りに多かったし、そんな残業時間が当たり前でした。
ただ、そんな働き方って続かないんですね。そんな働き方をした結末が過労になってきます。今回はそんな過労で会社を辞めたワンワンの話をしていきます。
この記事では、
- 残業時間100時間を超えて働いた結果、過労になったワンワンの実体験
について、過労前の兆候が出てきた時、過労の後どうなったかについても話していきます。
この記事の目次
過労になる直前の話
まずはワンワンが過労になる直前のお話をします。
その時は仕事を3件ほど抱えてました。ちょうど締め切りも近い3件で残業100時間を超えることが連続でした。この時はよく歩いていると意識が一瞬切れる時も多かったです。
これは後から気づいたんですが、過労になる兆候が出てくるんですね。
- 記憶力の低下
- 観察力・洞察力の低下
- 睡眠不足
- 自殺を考える
こんなにも過労の兆候が出てくるなら気づくんではと思う人もいるかもしれませんが、その時はそんなことを考える余裕はありませんでした。
記憶力の低下
まず記憶力の低下についてです。これはある時に次に何をしようとしてたんやろう?何か忘れているけど思い出せないなどです。
日常でもたまにあることかもしれませんが、その頻度が増えてきました。後から考えるとこれが過労の第一歩やったんかなと思います。
たまに普段ならこれくらい覚えれたのになぜ覚えられないんだろうと疑問に思った時もありましたが、気のせいかなと考えていました。
記憶力の低下が、仕事の出来にも影響してくるようになりました。それがこの後の事に繋がってくる原因となったのかなと思います。
観察力・洞察力の低下
観察力、洞察力の低下ですが、いつもなら気づく大きなミスが全く気づかないということです。今考えるとこれは明らかにおかしいと分かるミスが気づかないことが何個かありました。
この時の失敗がさらに過労を加速させましたね。納期が間もない時にこの大きな失敗に気づいて、さらにワンワン自身を追い込むように仕事をしていました。
この時から「仕事に失敗したらどうしよう?・もうダメだ!・誰でもいいから助けてくれ・もう死ぬしかない」と頭の中で言葉が巡るようになってきました。
過労によって脳がどんどん疲れていって、脳の働きが弱くなってきましたし、大きな失敗により精神的にも自分を追い込む結果となりました。
睡眠不足
残業が多いから、帰る時間が終電になります。だから睡眠の時間が短くなるっていうのは当たり前の話ですが、過労の時はそれ以上に睡眠時間が短くなりました。
どんなに疲れて寝ても、朝の3時、4時に起きてしまって寝つけなくなりました。常に睡眠時間は2時間、3時間の日々が続きましたね。
これは過労にプラスして精神的に追い込まれていたので、常に脳が覚醒状態になっていました。寝ていても仕事をどうしようと考えてたのかもしれません。
この睡眠不足によって体力はかなり削られていきましたね。頭がしんどくて体もついていかない、考えることはマイナス方面ばかりと最悪な方向に行ってました。
自殺を考える
そして自分を追い込みすぎた結果、自殺を考えていました。今考えると、もうこの時は頭がおかしかったです。
終電で帰っている時、乗り換えで駅を歩いていると電車が来ますよね。その時にはこの電車に飛び込めば楽になると毎回思ってました。
あとは睡眠不足で朝4時くらいに起きてしまうとスマホで「自殺 楽な方法」と検索して自殺を楽にできる具体的な方法を調べていました。これを毎日検索して、いつ自殺をしようかと真剣に考えていました。
あとは親に最後の手紙を書こうとしていましたね。
もうここまで来れば、過労の末期かなと思います。この時は仕事か死ぬかの二択しか無いと考えていました。
過労になり、病院に行きました。

そして仕事に行っても、動けない日が2日続きました。その時は机の前に座るんだけど、頭がずっとグルグル回るような感じが続いてました。
そして毎日自殺を考える日々、ワンワンはもう病院に行こうと思いました。よくこの時、この選択肢を思いついて実行できたなあと今更ながら思います。
この病院に行くっていう行動も葛藤がありました。病院で行くとしたら心療内科になります。今までは自分が心療内科に行くって考えられないし、周りの人もワンワンは心療内科とは縁遠い人やと思われてました。
でもこの苦しいループを抜け出すためにもう心療内科に行くしかないと決断しました。そして心療内科に行った結果、心療内科で「過労によるうつ状態」の診断書をもらい会社を休職しました。
今でも考えると、この時病院に行ってなければもしかしらた自殺をしていたかもしれません。病院に行くという一歩を踏み出せた事で今を生きているとワンワンは思ってます。
会社を休職後の治療して体を休めてました
過労によるうつ状態だったワンワンは、週3は病院に行ってました。治療方法は、
- 薬による治療
- 体を休める
- 病院での診察、相談
の3点でした。不安があれば病院で話を聞いてもらいましたし、薬が睡眠の効果があるものなので寝る前に飲んでしっかり寝るようにしていました。
あとはひたすらに体を休めてました。特に最初の1ヶ月間は酷かったです。テレビを見ても1時間見たら頭がシンドイので、消してました。あとはひたすらベッドで寝たきりのようにジッとしていました。他は何もしていません。
この時は1人暮らしをしていたので、親にも電話して過労で会社を休職したと報告しました。すぐに帰って来いと言われましたが、その気力も無かったのでしばらくは帰らなかったです。
3ヶ月くらいすると体も回復してきたので、約1時間くらい公園に散歩行ってました。あとはジムに行って体を動かすようにしていました。
完全回復したわけではありませんが、4ヶ月でそれなりに頭と体が回復したので実家に帰りましたね。まあ会社を辞めてくれと言われたのもありますけどね。
ちなみにワンワンが持っていた仕事は、他の人が代わりにやってくれて無事に終わってました。人任せですけど、仕事はなんとかなるもんですね。
実家に帰ってからも、近所の病院に月2回通ってました。合計すると9ヶ月ほど病院に行ってましたね。
実家に帰って、すぐに仕事も見つかりました。残業もほぼ無いところで1年ほどリハビリのように働いてました。実家に帰ってから1年でだいぶ頭も体力も回復しました。
過労になって分かった事

過労になって分かった事は、
- 過労で頭と体がしんどい時は病院に行って休む
- 仕事に対する責任は適当で良い
- 1人は限界がある。
過労で頭と体がしんどい時は病院に行って休む
もう過労で追い込まれている人はすぐに病院に行って、頭と体を休めてください。
その時の仕事はダメでも、生きていれば何とかなります。早めに行く方が治療期間は短くなりますし、その方が次のアクションがしやすいです。
そして、今勤めている会社以外にも多くの会社があります。そして今は転職することが当たり前の時代ですから、体を休めてから転職も一つの道です。今の会社にしがみつく必要はありません。
独立も一つの道かもしれません。この休職期間を利用して色んな道があることを気づいてもらえたら良いと思います。
仕事に対する責任は適当で良い
ワンワンは真面目すぎると他の人から言われていました。それが良い方向に行けば問題なかったですが、ワンワンの場合は悪い方向に行ってしまいました。
責任感が強いからこそ、自分で逃げる道を無くしてしまうのです。ワンワンの今の考えは、「仕事に対する責任感はしっかり持つ、しかし失敗した時はどうしようもないので諦める」です。
仕事に対する責任感は持っても良いです。というか持ちましょう。ただ失敗した時の仕事に対する責任感は適当で良い、諦めるで良いと思います。そう考えると失敗しても良いかなと思いながら仕事ができます。
1人は限界
この過労になる前まで「1人で大丈夫、結婚はしない」と考えていました。しかし、過労になったあとは「1人は限界がある。もうここが限界、結婚しよう」と考えが180度変わりました。
1人暮らしの時は仕事から帰っても1人で考えていましたが、実家に帰ると家族がいます。家族がいると悩んでいることも話せるし、色々助けてもらえるので家族って良いなあと感じましたね。
それから嫁さんと会い、結婚しました。そして子供が産まれて家族が3人になりました。今は生きていて良かったと言えます。本当に嫁と子供に感謝しかありません。
もちろん仕事においても、1人では抱え込まずに周りの人によく相談するようになりました。
「【実体験】過労になって会社を辞めた話 過労で潰れるなら休もう!」まとめ
過労になる兆候
- 記憶力の低下
- 観察力・洞察力の低下
- 睡眠不足
- 自殺を考える
過労になって分かったこと
- 過労で頭と体がしんどい時は病院に行って休む
- 仕事に対する責任は適当で良い
- 1人は限界がある。
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